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ラ・トゥールとの対話から見い出す「生」について

「人間は、一体何のために生きるのか」、この問題は、哲学者や文学者、あるいは芸術家にとって最大の関心事の一つです。

私は幼少の頃から、人間の生き方について様々な疑問を感じて毎日を過ごしておりました。私は子供ながらに、「人生、いかに生きるべきか」という人間存在としての根本問題について考え、そして、試行錯誤を繰り返してきました。

「人生、いかに生きるべきか」という問題は、言うなれば、「人間はどのように生きるべきか」という問題です。私は長い間、「人間の生き方」そのものについて考えてきましたが、ある時期から、「人間は一体何のために生きるのか」という問題関心に自分が傾向していったことを、今、鮮明に思い出します。

2009年、国立西洋美術館において「ルーブル美術館展・・・17世紀ヨーロッパ絵画」が開催。この時、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour, 1593-1653)が描いた絵画、≪大工ヨセフ≫も同美術館で展示されました。

≪大工ヨセフ≫は、洗練された明暗法を駆使し、清らか極まりない静寂の雰囲気の中、ヨセフが大工仕事をしている姿が描かれています。ヨセフの面前では、幼少のキリストが蝋燭を持ってヨセフを見守っています。

私自身がこの絵画から感じることは、ヨセフの目線が表現する「聖なるミッション」の描写です。言うまでもないことですが、人間は、単に、パンのみに生きるのではありません。すべての人間は、何らかのミッションを持ち、そのミッションを行うべく、「生きる糧」としてのパンを食べるわけです。人間は、そうした自己の生き方において自らの「尊厳」(dignity)を見い出し、「ミッション遂行者としての『生きる喜び』」を感じるのです。

本稿では、「弟子」(disciple)を志す皆さんに一つ提案します。皆さん、迎える一日一日を「自分なりのミッション」を持って生きてみませんか。パンのために生きる(仕事をする)のではなく、「『自分なりのミッション』を遂行するために自分の人生を生きる」という考え方を持つことにより、「より価値のある、そして、より意義のある一秒一秒」を刻むことができます。