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“cultivation of the very cultivation”

英語の動詞に”cultivate”という語がありますが、これは古くはラテン語に由来する語。本来、cultivateは、「畑を耕す、栽培する」という意味で使われる場合が多い語ですが、一方では、「啓発する、磨く、高める、(人格、品性を)陶冶する」という意味で使われることもあります。

英語の諺に、”Reading cultivates mind.”という言葉がありますが、これは、「読書は精神を高める」という意味を成します。現代の文明社会に生きる理性的存在者は、常に、本を愛し、本を読むことによって自己を高めようと努めています。本は、人間に知識・情報を与え、理性的存在者は、その、”与えられた知識・情報”を参考材料として深遠なる思索をすることにより、自分なりの知恵を生み出すことができます。

私は今、人類史における数々の節目をつくってきた識者たちに「心からの敬意」を表します。心からの敬意を表する理由は、決して、私自身を深遠なる思索の道へと案内していただき、いわゆる、”活字文化創造の小さな担い手”になるべく導いてくれたからではありません。

私は今、既存の固定観念から一切離れて、「真の意味での”cultivation”」について哲学しています。哲学して達観したことは、

「人間は皆、『”不完全な”理性的存在者』としてcultivateしている間においては、過ぎ去った時代を生きた識者が著した著作(活字で表現した”philosophia”)に触れて自分なりの知恵を見い出そうとする。ところが、あるステージを超越した存在者は、そうした識者が著した著作からではなく、『土』(soil)をいじることによって自らの”the ultimate cultivation”に到達する」

ということです。無論、”philosphia”の源泉をどこに見い出すかは個々人によって様々。ただ、今、私がここで述べたいことは、私個人の見解としては、「『philosophiaの源泉』は土いじりに内在する」ということです。

今現在は、私自身、まだまだ未熟、且つ、未発達極まりない「”不完全な”理性的存在者」でしかありません。しかし、いつの日か、私自身において、何らの活字も読まず、そして、活字を書かずに「土」をいじりながら一秒一秒を刻む日が到来するに違いないでしょう。その日こそ、私は初めて、「真の意味での『土の匂い』」について認識・理解することができるのだと考えます。

そして、その、「真の意味での『土の匂い』」について認識・理解・吸収することができたその時にこそ、私はこの世に生を受けて初めて、「真の意味での”cultivation”」について触れることができるのだと考えます。