AX

Homo sapiens sapiensとしての命

「次は自分の番」、・・・私にとっての自分の番とは、「自分が死を迎える番」を指します。私は現在40代ですが、私の頭の中では、20歳当時の思い出は“つい昨日のよう”です。広大な宇宙の時間に比べると、この地球における時間的空間はほんの些細なものです。その長さを天文学的に述べるならば、その長さは、まさに、“ほんの些細な一瞬”でしかありません。

この地球が歩んできた“些細な時間的空間”において、人類が独自の進化に入ったのは今から約800万年から500万年前(実年代は推定。研究者によって見解が異なる)。現在における人類学・考古学等における研究では、最古の人類は「猿人」、即ち、エチオピアで発見されたラミダス猿人(Australopithecus ramidus)。後に発見されたアウストラロピテクス=アファレンシス(Australopithecus aphalensis)もエチオピアで発見されました。その後、更新世(約170万年~1万年前)に入るころに「原人」、ホモ=エレクトス(Homo erectus)がアフリカに出現(原人の脳の容積は猿人の2倍(1000ccほどの容積))。やがて、原人は「旧人」、ホモ=サピエンス=ネアンデルターレンシス(Homo sapiens neanderthalensis、通称、ネアンデルタール人と呼ばれる)へと進化。ネアンデルタール人は、12万年前から3万5000年前にヨーロッパから中央アジアに至るまで広域にわたって存在しました(脳の容積は1300~1600ccほどで、現代の人類と同等レヴェル)。

そしてようやく、約6万から5万年前に人類最初の「新人」(新生人類)、いわゆるホモ=サピエンス=サピエンス(Homo sapiens sapiens)が出現します。この時点で、新人の骨格や顔の形は、現代の人間とほぼ同等のものとなりました。新人における石器の技術は著しく進化し、人類は、後期旧石器時代に突入。やがて集落(人間社会の起源)が生まれ、少しずつ、世界の至る所に文明が開化していったのです。

今、2012年の現代社会に生きる私たちにとって、このような立ち位置から人類の歴史を静観すると、「数十年の命を賦与された“一個の人間が息をする時間”」は、まさに、“ほんの一瞬”のことであることがわかります。このようなことを毎日考えている私にとって、「人間の生」を哲学することは、言うなれば、毎日の日課であり、「ものを書く」という観点から述べるならば、このような問題意識の中で生きることは毎日の仕事でもあります。

「次は自分の番」、・・・実際、毎年のように、近い親戚、知人、友人等に死が訪れています。無論、私たち人間にとって「健康であること」は最も感謝するべき有様。健康であることは決して当たり前ではない、このことは、健康であった自分自身が病気になるとしみじみと感じることです。「次は自分の番」、・・・だからこそ、今、私にとって一番怖いものは、「何もしない時間を過ごすこと」です。今ここで率直に述べるならば、私自身、「何もしないで時間ばかりがどんどんと経過していく」という有様ほど”恐怖”を感じるものは他にはありません。

どのような人間でも、一生に何回かは何らかの病気になります。そして、言うまでもなく、年齢を重ねると、やがて死を迎えます。究極論を述べるならば、「死を迎える」という有様は、間違いなく、世界中のどのような人間においても同じ有様です。無論、人によって「生の期間」はそれぞれ違いますが、人は、その期間に限らず、「自分における“限定された生”において、本当にやりたいことをやっているのか」と自分自身に問うその時、“切実なる実感”として、「自分に与えられた生を全うすることの”意味”・”重要性”」を感じ取るのだと思います。

読者の皆さん、現在、皆さんが何歳であったとしても、是非、日々の生活において、「次は自分の番」と自分に唱えてみてください。「次は自分の番」、・・・そう考えると、今現在、「何もしない」「時間を無駄にする」という有様に対して大きな恐怖心を抱くに違いありません。「時間を無駄にする」、言うなれば、それは、「限りある自分の人生の時間を無駄にする」ということです。