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イマニュエル・カントを源泉とする”rational intonation”

導入

生井利幸は、”the air saturated with reason”(理性で構築された空気感)の下で英語を喋るとき、常に、自分の目の前に存在する一個の人間における「人間の尊厳性」を<自分の心の”中心”>において一語一語を発しています。

まず第一に、ドイツ観念論哲学者、イマニュエル・カントが唱えた「人間の尊厳」について精読・思索し、この問題について、頭だけでなく「腹」で哲学してみてください。

カントが唱えた「人間の尊厳」について

「人類の『英知』(philosophia)の歩み」において多大な影響を及ぼしたイマニュエル・カント(Immanuel Kant, 1724-1804)は、近代の倫理思想において意志の自律の倫理学を確立させ、人間性の尊重・人格の尊厳を強く訴えた哲学者であり、言うまでもなく、ドイツ観念論哲学の創始者である。

カントは、人間は「尊厳」を持つ存在であるから、自他の人間性(人格)の尊厳を侵害するような行為をしてはならないとダイナミックに主張した哲学者である。その根拠は、人間の存在は何かの「目的」のためにあるものであり、単に手段として使用されてはならないという考え方から導かれる。カントは自身の著作の中で、「人格の内に宿る人間性の尊厳」という表現を用いている。これは、人間は第一に「内的尊厳」、あるいは「絶対的内的価値」を有する存在であるという意味である。カントによると、この内的価値こそが「尊厳」そのものである、ということだ。

この「目的」と「手段」について、カントは、以下のように考える。即ち、理性的存在者は、「目的自体」として存在し、誰かの意志の任意な使用のための手段として存在するのではない。自己自身に対する行為においても、あるいは、他のすべての理性的存在者に対する行為においても、絶えず同時に「目的」として捉えられなければならないと主張した。

カントは、この理性的存在者のことを「人格」と呼び、「人格は絶対的価値を有する」と考えた(一方、単なる手段として相対的価値を有するのみであり、値段が付されて売買の対象となるような存在物を、「物件」と呼ぶ)。

カントは、さらに、この地球上に存するいかなる人間であっても、最初から無条件に、「不可侵な『尊厳性』」を天賦的に備えているわけではない」と考えた。即ち、この世には実に多様な人間が存在している。大きく分けると、(1)「理性的人間」と、(2)「非理性的(動物的)人間」との二つに分けられる。カントは、この二つのうち、いわゆる、「理性的人間」のみが、目的それ自体として「尊厳性」を有していると考えた。

カントは、1785年の『人倫の形而上学の基礎づけ』において、「自律」が、人間、及び、すべての理性的存在者の根拠であるということ。そして、「人間性の尊厳」には、自己が立てた法則に従い自らそれに服従するという条件はあるが、普遍的法則を構築する能力を有するという点において尊厳が存在すると考えた。

カントが説明する「尊厳」とは、言うなれば「価値」である。これは、極めて<無比なる価値>である。カントはまず、「人間性」そのものが「尊厳」であり、人間は、いかなる価格を提示されても売買されるものではなく、決して失うことのできない尊厳を有する存在であると考えた。さらに、カントは、「善き意志」こそが、「人間の存在に”絶対的価値”を持たせることができる唯一のものである」とした。

「尊厳」について考える上で注意すべき点の一つは、カントにおいては、人間の「尊厳性」が、所謂、「神聖性」に通じるとしたことである。カントにおいては、「個々の人間が有するとされる人格の内なる人間性は、個々の人間にとって『神聖』でなければならないとする。なぜならば、人間は「道徳的法則の主体」であるから、それ自身が「『神聖』なるものの主体」であるからである。

カントが、「人間の尊厳性」についてどのように「人間の神聖性」に関係づけたのかという問題は、『実践理性批判』における一節において述べられている。即ち、カントは、「本来、人間はあまり神聖ではないが、人間が有する人格の内なる人間性は人間にとって極めて神聖であるべきである」と説く。

人間は、自己の自由な自律のための「神聖な道徳的法則の主体」である。この主体は、単なる「手段」として用いられるべきではなく、「目的」として用いられなければならない。したがって、人間は、人格的存在として「道徳法則の主体」である限り「『目的』としての存在」であり続ける。我々人間は、そのために、(1)「尊厳性」、そして、(2)「神聖性」を備えているのである。

カント哲学を源泉とする”rational intonation”

世界レヴェルの英語スピーカーとして”rational intonation”(理性的イントネーション)を構築するには、常に、カントが唱えた「人間の尊厳性」、及び、「人間の神聖性」の概念を<心の”中心”>におき、現実に自分の目の前に存在する人間に対して、一個の人間として最大限の敬意を払うことが求められます。

2つの概念、即ち、(1)「人間の尊厳性」、及び、(2)「人間の神聖性」は、「人間存在の根本の根本」について「人間の魂」に囁く役割を果たしてくれます。rational intonationとは、そうした人間存在の尊厳性・神聖性を源泉として生じるintonationであり、このintonationは、スピーカー自身の幸福・利益のためにあるのではなく、一事が万事において、今現在、目の前に存在する人間のためにあるのです。

rational intonationは、自分のためでなく、「他人の心の安定・平和」のためにあるからこそ、そのintonationが「理性の化身」(the incarnation of reason)となり、「local intonationを超越した”transcendental intonation”(超・イントネーション)」となるのです。