英会話道場イングリッシュヒルズ・ライブラリー









生井利幸・・・・・・・・・・・

承知のように、日本は、古代において中国から律令制度を導入した。古代ロ−マ法の精神においては、「法は個人間の紛争
を解決するための道具である」という基本理念があったが、一方、中国や日本の古代法では、単に「統治者が定めた法を被
統治者が守る」という戒律的な理念が基本となっていた。

「近代」(modernization)という時代区分が意味するものは、いわゆる「個人の尊重」である。日本において法によって個人の
権利が擁護されるようになったその歩みは、西洋のそれと比べるとまだ歴史が浅い。しかし、実際、(被統治者である)庶民
の生活においては、古くから"相互の関係において個人を尊重しよう"とするスピリットが存在していたと私は考える。

江戸時代末期、即ち、1853年、マシュー・ペリー提督(Commodore Matthew Calbraith Perry)が率いるアメリカ合衆国海軍
東インド艦隊が日本の江戸湾浦賀に来航した。1854年、ペリー提督が再び来航し、日米和親条約が締結。これにより、徳
川幕府による長きにわたる鎖国政策(isolation policy)が終焉を迎えるに至った。

1868年の明治維新(The Meiji Restoration)を経て1889年に制定された大日本国憲法(The Constitution of the Empire
of Japan)においては、現行憲法ほどの人権保障は定められてはいなかった。だが、そこには、当時の人々の心の中にも個
人を尊重しようとする精神が確かにあったと私は捉える。当時の日本が”西洋文明社会における個人の尊重の理念”を理解
していたか否かにかかわりなく、当時の現実の市民レベルでの人間関係においては、「お互いを”個人”として尊重するスタ
ンスが意気揚々と存在していた」と私は見る。

日本では、伝統的に、「義理」(social duty)と「人情」(humane feeling)が庶民生活の精神基盤としての役割を果たしている。
そして、厳格な縦社会構造の中で、人々は、日々の生活において「本音」(real intention)と「建て前」(offical stance)という
「精神構造における”二重の基準”(double standard)」を巧みに使い分けることによって、複雑な人間関係を上手にマネージ
している。

義理と人情は、日本の地域社会の人々の生活の中に古くからある伝統的な精神構造である。それらが明確に概念化され
始めたのは、言うなれば江戸時代に入ってからである。当時の庶民が持つ独特の精神構造を描写した人物といえば、脚本
家の近松門左衛門(1653〜1724)を挙げることができよう。近松は、元禄末期にたくさんの庶民に愛された浄瑠璃(じょう
るり)や歌舞伎の一連の作品の中で、封建主義の時代において人々がどのようにお互いの立場を気遣い、それぞれが「異
なる感情を有する個人」としてどのように交流していくべきなのかということを、「演劇」という一般大衆にアピ−ルしやすい方
法を使って、多くの人々を魅了した文学者である。

近松は、自身の作品の中で、社会に存する義理と人情の狭間で苦しむ人間の悲劇を描写することに努めた。これは、当時
の封建社会における2つの側面、即ち、1)「縦社会構造に定着した厳格な道徳や規範」、2)「人間としての本来の愛情」と
が対立する構図として表現されたものだ。今、私自身、近松の文学の中にある本質について考えるとき、そこには、確かに、
「人間の尊厳とは一体何か」という、本来、私たち人間が考えるべき最も重要な問題があったのではないかと強く感じる。

日本研究に造詣が深いコロンビア大学のドナルド・キ−ン名誉教授は、イギリスのシェイクスピアと日本の近松の比較研究
において非常に興味深い見方をしている。キーン名誉教授は、シェイクスピアの作品の悲劇の主人公は皆、身分が高いが、
近松の作品での主人公は"庶民"であるということに着目する。そして彼は、両者の文学の比較において、「近松の一連の
作品が主眼とした悲劇の主人公は支配階級に属する権力者ではなく、一般の庶民そのものであった。だからある意味で、
シェイクスピアよりも近松の方がより近代的である」と述べている。

明治初期における西洋文化・思想・科学等の”輸入”については、「鎖国政策で盲目になってしまった"島国日本"が、急速
に世界の列強と肩を並べるためには通らざるを得ないプロセスだった」という見方が一般的である。明治、大正、昭和と、日
本は長いあいだ帝国主義国家として歩み続け、1945年に太平洋戦争に敗れた。翌年、日本は、G.H.Q.指導の下、日本国
憲法(The Constitution of Japan)を制定。その憲法の精神基盤は、アメリカの独立宣言(The Declaration of Independence)
や合衆国憲法(The Constitution of the United States of America)に強い影響を受けることになる。

アメリカ合衆国憲法の精神が「自由」と「平等」を基調とするものであることは、広く知られていることである。しかし、実際のと
ころ、日本人には、そうしたアメリカ型の自由・平等という観念は"どうもしっくりとこない"というのが本音ではないだろうか。

むろん、「自由・平等でありたい」「差別されたくない」「自分の権利をしっかりと守り、それを行使したい」という人間としての
願望は、西洋諸国でも日本でも、”一個の人間としての願望”であるに違いない。それにもかかわらず、日本ではなぜ、個々
の人間の心の中に”程よい定着意識”を構築することができないのであろうか。

考えられる理由の一つは、「西洋と日本では宗教観が違う」ということである。基本的に、西洋の近代思想は、ユダヤ・キリス
ト教思想を源流とする”天賦的な人権思想”である。そして、そこには、「自由・平等は、神から万民に対して与えられたもの
である」という理念が存在している。

もちろん、日本人においても、「人間としての自由・平等を堅持したい」という願望はある。だが、本来、この日本において長く
信じられてきた宗教は、神道と仏教である。遠い昔から、そうした宗教観が人々の血の中に浸透しているこの日本におい
て、ある時点において突然、西洋型の自由・平等思想を持ち込んでも、その思想が程よく”日本人の血の中”に浸透するに
はそれなりの時間を要するのだ。

そうであるならば、私たちは、そうした西洋の近代思想について一体どのように受け止めていけばよいのであろうか。そし
て、それらを日常生活の基本理念として、現実の生活の中にどのように反映させるべきなのだろか。私は、このことを考える
上で極めて重要な問題は、「1868年、明治維新で花咲いた文明開化から現代に至るまでのプロセスをどう捉えるか」という
問題の中に隠されていると考える。

私は、21世紀を生きる現代人がより深く思索するべき大きな理由はまさにそこにあると捉える。即ち、まず第一に、私たち
は、日本における伝統的文化遺産を継承・維持すると共に、明治維新以降に西洋から輸入した近代思想、即ち、「自由」「平
等」「正義」などの概念について十分に理解することが必要だと考える。そうすることで、日本の伝統的文化を維持しながら、
「個人の尊重」「人間の尊厳」の概念が”日本人一人ひとりの血の中”に浸透していくものと私は想像する。

今、21世紀を生きる私たちは、明治維新を”単なる過去の経験”として歴史の暗闇の中に封じ込めてはならない。

明治維新は、現代においてもまだ続いている「一連の文明開化」である。日本人は、「個人の尊重」の精神について、単な
る”借り物”の考え方としてではなく、ごく自然な形でそれを実践できる時代を迎えた時にこそ、「明治維新の終焉」を迎える
ことができるのだ。
生井利幸著 「人生に哲学をひとつまみ」(はまの出版)、p233-237参照・・







1853年のペリー来航から鎖国の終焉、徳川幕府の崩壊、
そして、1868年の明治維新から大日本帝国憲法制定への過程

modernization 1  modernization 2  modernization 3  modernization 4  modernization 5



1853年、マシュー・ペリー提督(Commodore Matthew Calbraith Perry)が率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊が日本の
江戸湾浦賀に来航。1854年、ペリー提督が再び来航し日米和親条約が締結され、徳川幕府による長きにわたる鎖国政策
(isolation policy)が終焉を迎えた。








あなたは、美味しいパンを食べるとき、口に入れたとたん、それを一気に飲み込んでしまいますか。それとも、じっくりと噛
み、パンの美味しさを味わいながらいただきますか。

私は、パンが大好きです。美味しいものを食べることが大好きな私は、食卓に美味しいパンがあるときには、それをよく噛ん
で、パンの美味しさを楽しみながらいただきます。美味しいパンは、よく噛めば噛むほど、口元で極上の味が広がっていきま
す。私の場合、美味しいパンを食べるときは、まず第一に、テーブルに純白のクロスを敷き、洗練された赤ワインの「深み」を
味わい、そして、じっくりと噛み締めながらパンをいただきます。

2008年の物質文明社会に生きる私たちは、幸か不幸か、過度に「物質」「食べ物」に溢れた生活をしています。しかし、あ
る意味で、この物質文明の有様は、”物質的に”豊かなこの日本社会において、私たちを、「自分の成長にとって本当に価値
のあるもの」、「本来、じっくりと味わえばより美味しくいただけるもの」の存在価値について盲目にさせてしまっています。

日々、私たちは、都会の雑踏に蔓延る雑音やネオンに惑わされ、本当に価値のあるものと遭遇しても、あるいは、本当に美
味しい食べ物を目の前にしても、その真価に気づかないままの状態で毎日を過ごしてしまっています。これは、言うなれば、
物質文明社会が齎した「負の作用」と言えるものです。

以上の見方を踏まえて、ここからは英語の話をします。

英語は、言うまでもなく、世界中の人々とコミュニケーションを図るための道具です。「その道具を一体どのようにして習得し、
磨きをかけるか」、その答えは、まさに、先に述べた「美味しいパンの食べ方」の中に隠されています。

人が英語を喋るとき、それを喋る本人が、英語における「音」と「意味」をよく噛み締め、心を込めて丁寧に喋るというこ
とが、優れた国際コミュニケーターになるためのプロセスとなります。

この文章を読む人の中には、「英語の音と意味を噛み締める」と言われても、今ひとつ、ピンと来ない人もいるでしょう。しか
し、現在のこの時点において、英語はまだ喋れなくても、普段、母国語である日本語を心を込めて丁寧に喋っている人であ
れば、この考え方はすぐにわかると思います。あなた自身が、毎日の生活において”母国語である日本語”を大切にし、様々
な生活シーンにおいて心を込めて日本語を喋っている人であるならば、この、「英語の音と意味を噛み締める」という言葉の
真意について、はっきりとわかるに違いないのです。

当教室では、1)「はじめて英会話を学ぶ方」、また、2)「一度、英会話スクールで学んだが、途中で英会話習得を断念して
しまった方」を対象として、常に、最善のティーチングメソッドを駆使してレッスンを行っています。当教室は、日本の英会話教
育における”負の側面”を一掃し、根本の根本から英会話を始めたい・やり直したいという方向けに独自の教授法を開発
し、実際の英会話レッスンにおいてそれを実践しています。

英語は、暗記ではなく、「印象」(impression)の積み重ねで覚えるものです。講師の生井利幸は、このような観点から、
すべてのレッスンにおいて、

   1) 「印象深い喋り方」
   2) 「味わい深い喋り方」

を駆使して極めてダイナミックなティーチングを実践しています。一定期間において、ある程度まで英会話を習得するには、
英語を学ぶ本人が、いかに英語を印象深く味わい、英語の一語一語をしっかりと噛み締め、それを発音していくか
いうことが最も重要なプロセスとなります。この考え方は、今現在の時点において英語をマスターしている人でなくても、
「毎日、”真摯な態度”で自分の人生と向き合い、母国語である日本語を大切に扱っている人」であれば明確に理解できるこ
とであると思います。

「英語を印象で覚え、それを自分が喋るときには味わい深く喋る」という経験は、1)「ブロークンではない正しい英語を喋るた
め」、そしてさらには、2)「国際社会で通用する、”品格のあるエレガントな英語”を習得する」という目的を達成する上におい
て必ず通らなければならないプロセスです。

あなたが、教養ある国際コミュニケーターとして、品格のあるエレガントな英語を喋れるようになりたいという願望を実現する
上では、単に、過去において英会話を学んだ経験があるという人よりも、むしろ、これまでの人生において、”母国語であ
る日本語”を大切に扱い、一語一語についてすこぶる丁寧に喋ってきたという経験を持っている人のほうが、英会話習
得においては”より近い立ち位置”にいると明言することができます。


























                    
                    

第一回、2008年2月26日(火) nikkei sangyou 1.pdf

第二回、2008年2月28日(木) nikkei sangyou 2.pdf

第三回、2008年2月29日(金) nikkei sangyou 3.pdf






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Lesson A   Lesson B

lesson 4   lesson 5   lesson 6   lesson 7


*コンテンツは、当教室の実際のレッスンの一部を録音したものです。






  Reading Material of Medical Law
  Office of Toshiyuki Namai, Tokyo, Japan


Euthanasia in the Netherlands and Japan

LL.M. Toshiyuki Namai,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
[1] Introduction

There has been much discussion on the legal, ethical, sociological or political ramifications of euthanasia in
Westeren countries. In particular, euthanasia has been practiced for some time with certain guidelines in the
Netherlands, and a draft bill to legalize euthanasia and physician-assisted suicide possed the first sitting of the
Parliament. The law is now in effect since April, 2002.

On the other hand, Japan has been slow to discuss legislation for euthanasia. But, this does not mean that
shortening the lives of terminally ill patients by doctors occurs rarely in Japan. Rather, it signifies an unwillingness
to discuss euthanasia openly. The frequency of euthanasia is unknown, an no direct and comprehensive data have
been officially recorded in public.


[2] "Six Conditions of 1962" to "Four Conditions of 1995," in Order for Euthanasia to be Carried Out Legally in
  Japan

As the Japanese term for euthanasia, "anraku-shi" literally means peaceful ("anraku") death ("shi"). Euthanasia in
Japan can be either "passive" or "active."

A. Guidelines of euthanasia were first outlined in 1962. In the landmark 1962 case in which a son helped to kill his
  terminally ill father, the Hight Court in Nagoya laid down six conditions which muct be satisfied in order for
  euthanasia to be legally carried out.

  1. the inevitability of death desipite all medical attempt.
  2. the suffering of those close to the patient.
  3. the need to attemp to save the patient from suffering.
  4. a clear expression of desire to die from the patient.
  5. the method of killing should be appropriate.
  6. the procedure must be performed by a doctor.

B. In March, 1995, the Yokohama District Court reiterated four conditions from the 1962 precedent which must be
  met in order for euthanasia to be performed.

  1. a patient must be suffering unbearable pain.
  2. death is unavoidable.
  3. there is no alternative to relieve suffering.
  4. the patient's will is clear.








英会話道場イングリッシュヒルズの英会話教育は、言うなれば、"comprehensive art for international communication"
(国際コミュニケーションのための総合芸術)であります。

イングリッシュヒルズのレッスンは、他の英会話スクールで行っているような”雑談中心のレッスン”ではありません。教室を
設立したわたくし生井利幸自身、”言語”としての英語の≪構造≫≪しくみ≫("structure" and "mechanism" of the
English Language)について研究に研究を重ね、”英語の構造・しくみとは全く異なる日本語”を母国語とする日本人にとって
最も妥当なティーチング・メソッドを開発し、すべてのプライベートレッスンにおいてそれを実践しています。

*「英語が喋れる」という概念と、「英語を教えるための教授法を備えている」
  という概念は、それぞれ異なる概念であることをご理解ください。

これまで、イングリッシュヒルズのレッスンを受けたすべての受講生は、皆、英語が喋れるようになっています。
その理由は、たった一つです。当教室では、単なる趣味程度の興味ではなく、「本気で英会話をマスターしたい」と決意して
いる人のみを受講生として迎え、毎回のレッスンにおいて、講師・受講生共に、常に完全燃焼しているからです。

イングリッシュヒルズのレッスンは、他の英会話スクールのレッスンでは決して経験することのできない「素晴らしい英語の
世界」を体験することができます。イングリッシュヒルズのレッスンにおいては、講師は、一つひとつの言葉について極めて
丁寧に扱い、受講生の心と体の中に無理なく英語を浸透させることにエネルギーを注いでいます。

英会話は、暗記ではなく、「印象」(impression)の積み重ねで覚えていくことが、最も効果的な習得法といえます。レッス
ンで使うテキストは、あくまでレッスンのための”たたき台”です。講師は、実際のレッスンにおいては、テキストに出てくる
英語を出発点として、多種多様なトピックについて極めて印象深く話をし、それらをダイナミックに展開していきます。

comprehensive artとしてのイングリッシュヒルズの英会話レッスンにおいては、日常会話に必要な基本表現の習得を基盤
として、他の英会話スクールでは決して経験できない極めてドラマティックなレッスンが行われます。講師は、レッスンに
おけるすべての時間的空間において、受講生の感性(sensibility)を程よく刺激し、ドラマチックな印象の連続で英語が自然と
身につくよう、120パーセントのエネルギーを投入してティーチングを行っています。

実際のレッスンで重要視されるポイントは以下の通りです。

1 ≪発音≫≪アクセント≫≪イントネーション≫のインストラクション

   イングリッシュヒルズでは、他の英会話スクールでは決して経験できないほどの極めてインテ 
   ンシブな≪発音≫≪アクセント≫≪イントネーション≫のインストラクションが行われます。

   受講スタート時点における英会話力に関係なく、レッスンにレッスンを重ねて、すべての受講生
   の発音・アクセント・イントネーションが劇的に変貌します。

2 英語コミュニケーションにおける「間」(interval in time)の取り方のテクニック

3 会話表現に登場する一つひとつの言葉に含まれる”文化的背景”の解説

4 音の出し方で言葉のニュアンスを変える方法

5 喋るスピードで会話を盛り上げる方法、など

【音声】 講師・生井利幸からのボイスメッセージ
Message from English Hills, Ginza

「国際社会で活躍できる”教養あるイングリッシュスピーカー”を育てる」、これがイングリッシュヒルズの英会話レッスンにお
けるミッションです。イングリッシュヒルズは、このミッションを実行する目的で、国際コミュニケーターを養成する上で必要な
様々な観点・要素を視野に入れ、”極めて総合的(comprehensively)に”、英会話レッスンを行っております。

イングリッシュヒルズでの受講を終了し、母国語の日本語と同じように、英語で、自分の年齢・経験・職業に応じた話し方・振
舞い方をマスターして国際社会に雄飛するそれぞれの受講生は、まさに、イングリッシュヒルズにとっての”芸術作品”でもあ
るのです。






当教室では、これまで様々な受講生を教えてきました。そうした中、はっきりと言えることは、「母国語である日本語をしっか
りと喋れる人は、英語の習得も実に速い」ということです。これを読む読者の皆さんの中には、「英会話の勉強の話をしてい
るのに、一体どうして日本語が大切なの?」と感じる人もいるでしょう。

言うまでもなく、日本人にとって英語は外国語です。全国に数多くの英会話スクールがありますが、悲しい現実ですが、レッ
スンを通して確実に英会話力(国際コミュニケーション力)をアップさせている人はほんの一握りの人々です。実際、イングリ
ッシュヒルズの門を叩く英語学習者の中には、「今まで**という英会話スクールに通っていましたが、一向に喋れるように
ならなくて困惑していました」という方が多くいます。

何年、英会話スクールに通っても正しい方法で英語が喋れるようにならない人に共通する過去の経験は、

   1)「レッスンを行った講師自身、”単に外国人である”というだけで、教えるプロではない」
   2)「講師は、英語教授法を確立していない」
   3)「レッスンは名ばかりで、毎回、雑談同様のレッスンである」
   4)「レッスンにおいて、講師は、受講生が喋る英語を聞き流すだけである」
      (レッスンにおける講師の重要な役割の一つは、受講生の英語表現について、国際コミュニケーションで通用する
       最も適切な表現に直すことである)
   5)「講師は、実務経験・人生経験の浅い先生である」
      (言葉にはそれぞれ深い意味がるため、講師は、言葉の”重み”・”深さ”を熟知している人であることが望ましい)

などです。

英語の構造は、日本語の構造と全く違います。レッスンにおいて、英語教授法を確立していない外国人講師の雑談を何
年聞き続けていても、それは、衛星放送のテレビでアメリカのバラエティー番組を何年も観続けていることと同じことなので
す。つまり、このような経験は、単に英語の音を聴いているだけの行為であり、「英語の構造と向き合い、しっかりと体系的に
英語を学んでいる」という経験ではないのです。

ここで再度、大切なポイントについて述べておきます。

英会話(外国語会話)は、基礎から体系的に学んでいくことなしにマスターすることは不可能です。イングリッシュヒ
ルズのすべての受講生は、この考え方を十分に理解している方々です。また、今回、初めてこのホームページを訪れ、「英
語のマスター方法を知りたい」という動機からこの文章をお読みいただいている方は、是非、この考え方を参考にして、基礎
の基礎から勉強を進めてください。

最後に、以上のことについてもっとわかりやすく述べるならば、大人になってから英会話を学び始めた場合においては、留学
や仕事で英語圏の国で何年生活しても、基礎の基礎から英語を体系的に学ばない限り、国際社会で通用する英語が身に
付くことはありません。Yes/Noで返事をするだけの英語、社会常識・マナー不在の英語表現、あるいは、ハリウッド映画の
暴力的シーンで使われるようなスラングを暗記するだけでは、海外において、常識人と本当に中身のある会話をする際に
は、ほとんど役に立つことはありません。

皆さん、どうでしょうか。今の時代、皆さんの友人や知人の中には、「数年ほど海外で生活した」という人はいるでしょう。今、
そのような人を思い出してみてください。あなたにとって、その人は、果たして、「本当に羨ましいほどの英語力を備えた国際
人(教養人)」といえる存在でしょうか。すべては、海外で生活する前、あるいは、その期間において、ご本人における「地道
な努力」(基礎を疎かにしない学習)があったかどうかによって違ってくると思います。




 
 






世の中には、物事をたくさん知っている人がいます。本や雑誌、新聞、あるいは、インターネットを通して、様々な知識・情報・
データを得る人は大勢います。しかし、ものを知っていても、「それをどのように活用し、どのように社会やコミュニティーのために役立てるか」について深く考える人はそう多くはないと思います。

概して、普通の教育を受けた人ならば、言語上の語彙として、「知識」(knowledge)・「教養」(culture)という言葉は知っているものです。しかし、実際問題として、これら二つの概念について、それらをしっかりと把握し、十分に理解している人は少ないと想像します。

冒頭で述べた内容と関連付けながら説明すると、知識とは、「単にものを知っている」ということです。つまり、これは、知ろうとするプロセスを通過して得た情報、データそのものを指す言葉です。一方、教養とは、既に得た情報・データなどについて、それらを、他者やコミュニティー、さらには社会一般の「幸福」(happiness)や「利益」(benefit)を実現するために役立てるための知恵(wisdom; intelligence)を意味する言葉です。

少し深い話をすると、英語では「文化」をcultureと呼びますが、同時に、このcultureという言葉は「教養」という意味を持ちます。言うまでもなく、世界に存する様々な「文化」、あるいは、「知」(sophia、ギリシア語で”知”、”英知”を意味する)を面前とし、その「精髄」「真髄」(the quintessence; the essence)に触れるためには、それなりの「教養」(culture; cultivation)を備えていることが必要となります。これをわかりやすく言うならば、英語の世界では、cultureという言葉は、文化であると同時に教養という概念を意味する言葉なのです。

「知っている」ということと、「役立てる」ということことは、根本的に異なる概念です。

皆さんが学んでいる英会話も、ただ単に、知識として覚えるだけでなく、何らかの目的を果たすために役立ててほしいと願っています。


ご参考
古代ギリシアの哲学者・ソクラテスの「無知の知」

概して、人間という動物は、少しばかり何かを学び、それによってある程度の評価を得ると、さぞたくさん知っているかの
ように人前で振舞いたくなる習性を持っているといえる。言うまでもなく、どんな分野においても、ある程度まで極めるた
めの「学びの道」を歩むというそのプロセスは決して簡単なものではない。だが、人間は、時として、実に愚かな考え方を
する。「自分には限られた知識しかない」という事実は自分自身が一番良く知っている事実であるが、どんな人間でも、
時には「自分は何でも知っている」というような“錯覚”に陥ることがある。しかし、「自分は何でも知っている」ということを
軽々しく言えるということは、「実は何も知らない」あるいは「知ってはいるが、実はそこそこに知っているだけだ」という証
となってしまう。

古代ギリシア時代における偉大な哲学者、ソクラテス(Sokrates, 470?-399 B.C.)は、「知」を愛し、「知」を求めることに
自分の人生を託した。古代ギリシア語においては、「哲学」(philosophia)という言葉は、「知」(sophia)を「愛する」(philein)
という意味であるが、このような”知を愛すること”、即ち「愛知」はソクラテスによって確立されたものであると伝えられて
いる。ソクラテスは、「助産術」と呼ばれる問答方式で周囲のソフィストたちに本当の「知」を認識させることに努めた。し
かし、ソフィストたちは自分たちの無知をソクラテスによって悟らされてしまうため、自己反省のできない者達からはひどく
嫌われた。ソフィストの中には、少しばかりの知識があるだけで、さぞ自分が“偉い人物”であるかのような錯覚に陥り、
自分自身に対するプライドばかりが高い人物が多かった。当時のギリシアでは学問をするというのは贅沢なことであった
ので、大衆は“学問をする人”を敬う傾向が強かったが、ソフィストといえども決して万能な存在者ではない。ある程度、
学問を修めたとしても、その知識は決して万能なものではない。

ソクラテスは、「自分は何でも知っている」と自負する者は、実は「何も知らない者」であり、人間は、自らをそう思ってい
る間は、決して「真の知」には到達できないと力説した。「“自分は本当は何も知らない”という自分自身の“無知”に気づ
くことが真の知への扉の前に立つことである」というこの考え方は、古代ギリシア時代のみではなく、21世紀の現代社
会においても十分応用できる考え方である。

<参考図書> 生井利幸著、「人生に哲学をひとつまみ」(はまの出版)。


























<1> Japanese Culture (日本文化)
  Giri and Ninjo (義理と人情)
  "Spirit of Harmony," Basis of Japanese Mentality (日本人の精神構造の源泉)


<2> American History (アメリカ史)


<3> Arts in the World (世界の芸術)


<4> The Constitution of Japan (日本国憲法入門)


<5> Philosophy (哲学)


<6> Arts and Sciences (学問への招待)


*順次、コンテンツを掲載していきます。











英会話道場イングリッシュヒルズは、
「公平無私な学問の精神」を基盤として、英語で、国際的教養を養うことをティーチングミッションとする教室です。



イタリアのルネサンス期の画家・ラファエロ(Raffaello Santi, 1483-1520)がバチカン宮殿に描いた「アテネの学堂」
(Scuola d'Atene)の壁画の中央には、プラトンとアリストテレスが描かれている。天を指してイデア界を示している
のがプラトン、その隣で、手のひらを下にして現実の世界を重視しなければならないと説いているのはアリストテレ
スである。英会話道場イングリッシュヒルズ・銀座書斎においては、この「アテネの学堂」が置かれており、西洋に
おける学問の基礎を築いたプラトンとアリストテレスが、常に、イングリッシュヒルズの受講生を見守っている。

講師・生井利幸は、長年、アメリカのペンシルベニア州ラフィエット大学講師を歴任。帰国後は、生井利幸事務所を
設立。国際派作家として多分野にわたって本の執筆に取り組む一方、全国各地で講演会を開催。

後に、この日本で、国際的に活躍できる「教養人」(cultured person)を育てるために、日本における新進気鋭の
文化・芸術が集結する東京・銀座に、プラトンのアカデメイア学園の「学問の精神」を基盤とする教室、即ち、
英会話道場イングリッシュヒルズを創立。銀座書斎において、創立者である生井利幸が自ら、一般社会人を対象と
して英会話レッスンを行っている。

イングリッシュヒルズの英会話レッスンは、単なる会話の技術的レッスンにとどまるだけでなく、英語で、国際的に
幅広く活躍するための教養・見識を養うことを主眼としている。そのため、イングリッシュヒルズは、グローバルな
視野を持って、”日々変動する国際社会”に目を向ける一般社会人の”学びの場”となっている。

現在、イングリッシュヒルズの通常レッスンはすべてプライベートレッスン(完全個人指導)。元米国大学講師、
国内外でトップレベルの英日バイリンガル講師・生井利幸が直接、一人ひとりの受講生としっかりと向き合って、
懇切丁寧に英会話レッスンを行っている。

イングリッシュヒルズは、”公平無私な学問の精神”を基盤として、受講生の学習意欲を劇的に向上させ、受講
生自身の英語力を飛躍的に伸ばす驚異の教授法を駆使する未曾有の教室である。





2009年版  2008年版