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“privilege”の使い方如何で、話し手の「品格」「心の豊かさ」が露呈する

本来、イギリス・アメリカにかかわらず、教養人(cultured person)が集まる場所では、人は、英語における一語一語について極めてデリケートに扱うものである。英語における一語一語の使い方は、まさに「話し手本人の教養・品格の“鏡”」といえるもの。英米社会、あるいは、国際社会においても、英語という言語について相当なる知識があればあるほどに、人は、「英語は、実に難しい言語である」と述べる。

概して、品格のある英語を流暢に喋れるにもかかわらず「英語は難しい」と捉える人は、その本人自身が、1)「そもそも、他者とコミュニケーションを図るということは、それを何語で行っても、決して簡単なものではない」、2)「言語は本来、それが何語であっても“デリケートな代物”である」という事実について、ローカル目線ではなく「グローバル目線・立ち位置」から客観視、及び、熟知している人である。

逆に言うならば、“無思索状態”で、“実に簡単に”、「英語は世界中で話されている。だから、英語は簡単である」と言い切る人は、いわゆる英語の「深遠さ」(profundity)と「繊細さ・優美」(delicacy)を知らない人である。

このことは、日本人において、日本語の「深遠さ」を知っている人ほど「日本語は、実に難しい言語である」と述べる様相を想像すると理解しやすいことだ。日本で生まれ育った日本人であれば誰でも日本語を喋ることができるが、実際、普通の社会で「品格のあるエレガントな日本語」を喋る人はほとんどいない。

英米では、話し手が、何らかの特別な思いを込めて、「自分にとって大変名誉なこと」「自分にとっての特権である」という意味合いで”privilege”という言葉を使うことがある。

例えば、”It is my great privilege to introduce Mr. Smith here.”という一文であれば、日本語におけるその意味は、「このたび、この場におきましてスミス様をご紹介させていただくことは誠に名誉(光栄)なことと存じます」という意味を成す。

また、”I deeply feel that this is my privilege given to teach you English here.”という」一文であれば、「今、わたくし自身深く感じることは、今ここであなたに英語をお教えできるということは、まさに、“わたくしに与えられた特権”(my privilege given)であるということです」という意味を成す。

深い意味で言うならば、本来、教養人によって話されている英米語におけるprivilegeには、「“生”に対する喜び・感謝の気持ち」を精神基盤として、自分の目の前の相手とのコミュニケーションについて「自分の人生における“極めて特別な機会”である」と捉え、そうした極めて特別な機会を得ることができることを「話し手自身に賦与された”privilege”(特権、特別な権利)」であるという精神が内在しているといえる。

逆に言うならば、英語を母国語として使っている英米人でも、心の貧しい人、心の中に「生に対する喜び」「他者に対して感謝する気持ちのない人」においては、前述した精神に基づいてprivilegeという言葉を使うことは皆無に等しいと言わざるを得ない。