英会話道場イングリッシュヒルズ 道場で究める「英語道」

the pangs of conscience(良心の呵責)

2012年05月29日 | Words and Phrases |

“the pangs of conscience”は、いわゆる「良心の呵責」という意味を成す。conscienceは、「良心」、即ち、「個人としての道徳意識」を意味し、pangは、「心の痛み」を意味する言葉である。the pangs of conscience(良心の呵責)について論じるとき、まず第一に、「良心とは何か」という問題について考察しなければならない。本来において、conscienceとは、一個人としての道徳意識を指し、<1>「何が善であるか」(What is good?)、<2>「何が悪であるか」(What is evil?)という、人間が行う行為についての“超・個人的意識”を指すものである。

conscienceの概念を考察するとき、言うまでもなく、”morality”(道徳)の概念との比較を避けて通ることはできない。moralityとは、特定の社会において、構成員たる個人個人が、相互における共通認識として遵守するべき道徳規範を指すものである。人間の行動における道徳意識を捉えるとき、超個人的な意識がconscience、社会一般において広範に認識されるべき意識がmoralityであると捉えると、この二者における相違についての理解が明確となる。

英米では、the pangs of conscience(良心の呵責)は、会話の状況に応じて他の言葉でも表現される。例えば、(広義に解釈する)「良心の呵責」は、(1)a twinge of conscience, (2)remorse, (3)qualm等でも表現することができる。それぞれの言葉は、会話の文脈の流れに応じて使い分けることが期待される。(1)の場合、twingeは、一本の針で自分の心が刺されるような感覚を表現する際に効果的。心の奥底に潜む一個人としての道徳観念が、“極めて細く、且つ、頗る鋭利な一本の針”で突かれている如きイメージ。(2)は個人個人が自らの心の中で抱く罪悪感(guilt)から生まれる「罪の意識」(compunction)を指す概念。(3)は、自分が行った行為についての心配・不安・気のとがめ等から生じる超・個人的意識。



”privilege”の使い方如何で、話し手の「品格」「心の豊かさ」が露呈する

2012年04月24日 | Words and Phrases |

本来、イギリス・アメリカにかかわらず、教養人(cultured person)が集まる場所では、人は、英語における一語一語について極めてデリケートに扱うものである。英語における一語一語の使い方は、まさに「話し手本人の教養・品格の“鏡”」といえるもの。英米社会、あるいは、国際社会においても、英語という言語について相当なる知識があればあるほどに、人は、「英語は、実に難しい言語である」と述べる。

概して、品格のある英語を流暢に喋れるにもかかわらず「英語は難しい」と捉える人は、その本人自身が、1)「そもそも、他者とコミュニケーションを図るということは、それを何語で行っても、決して簡単なものではない」、2)「言語は本来、それが何語であっても“デリケートな代物”である」という事実について、ローカル目線ではなく「グローバル目線・立ち位置」から客観視、及び、熟知している人である。

逆に言うならば、“無思索状態”で、“実に簡単に”、「英語は世界中で話されている。だから、英語は簡単である」と言い切る人は、いわゆる英語の「深遠さ」(profundity)と「繊細さ・優美」(delicacy)を知らない人である。このことは、日本人において、日本語の「深遠さ」を知っている人ほど「日本語は、実に難しい言語である」と述べる様相を想像すると理解しやすいことだ。日本で生まれ育った日本人であれば誰でも日本語を喋ることができるが、実際、普通の社会で「品格のあるエレガントな日本語」を喋る人はほとんどいない。

英米では、話し手が、何らかの特別な思いを込めて、「自分にとって大変名誉なこと」「自分にとっての特権である」という意味合いで”privilege”という言葉を使うことがある。例えば、”It is my great privilege to introduce Mr. Smith here.”という一文であれば、日本語におけるその意味は、「このたび、この場におきましてスミス様をご紹介させていただくことは誠に名誉(光栄)なことと存じます」という意味を成す。

また、”I deeply feel that this is my privilege given to teach you English here.”という」一文であれば、「今、わたくし自身深く感じることは、今ここであなたに英語をお教えできるということは、まさに、“わたくしに与えられた特権”(my privilege given)であるということです」という意味を成す。

深い意味で言うならば、本来、教養人によって話されている英米語におけるprivilegeには、「“生”に対する喜び・感謝の気持ち」を精神基盤として、自分の目の前の相手とのコミュニケーションについて「自分の人生における“極めて特別な機会”である」と捉え、そうした極めて特別な機会を得ることができることを「話し手自身に賦与された”privilege”(特権、特別な権利)」であるという精神が内在しているといえる。逆に言うならば、英語を母国語として使っている英米人でも、心の貧しい人、心の中に「生に対する喜び」「他者に対して感謝する気持ちのない人」においては、前述した精神に基づいてprivilegeという言葉を使うことは皆無に等しいと言わざるを得ない。



西洋におけるscienceの意味

2012年04月19日 | Words and Phrases |

日本でscienceという言葉を用いるとき、概して、「科学」という意味で用いられることが多い。だが、本来において、英米(広くは西洋)におけるscienceは、「科学」という意味に加え、「・・学」及び「学問」という意味で用いられるのが一般的である。例えば、政治学を英語で言うとpolitical science、医学はmedical science、歴史学はhistorical science。

広く一般に、西洋の学術研究におけるscienceは、学問における三大潮流、即ち、人文科学(human sciences)、社会科学(social sciences)、自然科学(natural sciences)全般を指す。それ故、例えば、国際社会において、異なる専門分野を研究する研究者間でscienceという言葉を用いるときは、通常、「学問」という意味で用いられるのが普通である。

無論、西洋においても、scienceは「科学」には違いない。ただ、ここで留意すべきことは、現代の学術研究において、研究者が「科学」の意味でscienceという言葉を用いたとき、scienceは、いわゆる「“学問”としての科学」という意味合いが強いという点である。ヨーロッパ語としてのscienceの語源は、ラテン語のscientia。当初は「知識」を意味する言葉であったが、17世紀に入ると(精密)自然科学として捉えられはじめ、近代においては、広義には「学問」という意味で用いられている(人類史における学問の起源・発展等については別の機会に譲る)。



機知(wit)に富んだ言葉、”fairy tale”

2012年04月07日 | Words and Phrases |

fairy(形容詞)は「妖精の、優美な、架空の」という意味。そして、tale(名詞)は「話、物語」。fairy taleで「おとぎ話」という意味を成す。

西洋では、古くから、「紳士」(gentleman)は、単に、上辺だけ礼儀正しく振舞うだけでなく、「“淑女”(lady)に対して夢を与え、その夢を叶える器量を備えている」ということが“紳士の嗜み”として捉えられている。例えば、結婚という行為が、実際は“非現実的”、且つ、“夢のまた夢”の関係である男女。しかし、その男女は、お互い、情熱的に愛し合っている。そこで、ある日、女性が男性に、”I’d like you to love me forever.”(ずっと私のことを愛していて欲しいの)と哀しげに囁く。男性は、”What would you like me to do for us?”(どうして欲しいんだ)と女性に尋ねると、女性は、目に涙を浮かべて、”I’d like a fairy tale.”(”fairy tale”が欲しい)と答える。

この会話のやり取りにおけるfairy taleとは、「おとぎ話」というよりは、「あなたとずっと一緒にいたい」ということ。これはつまり、「あなたと結婚したい」という“熱情ある願望”を包含するものである。このことは、古典主義を批判し近代擁護の立場を採ったフランスのペロー(Charles Perrault, 1628-1703)の童話、「シンデレラ」(Cinderella)のストーリーを連想することにより、これを「機知(wit)に富んだお洒落な表現の味わい」として理解することができよう。英語表現におけるエレガンスは、まさに「機知が醸し出す“優美な余韻”(graceful reverberation)」によっても作り出されることがわかる。



「学問の基礎」としてのphilosophy

2012年04月04日 | Words and Phrases |

言うまでもなく、philosophyは、「哲学、人生哲学、哲理、哲人的な精神」等の意味である。philosophyの語源であるギリシア語では、「哲学」(philosophia)は、「知」(sophia)を「愛する」(philein)、という意味を成すものである(生井利幸著、「人生に哲学をひとつまみ」(はまの出版)、33頁参照)。

日本におけるphilospphyの概念は、総じて「哲学」という意味であるが、西洋におけるphilospphyは、大きく2つの意味に分かれる。西洋におけるphilosophyは、まず第一に「哲学」という意味であり、これは、日本で捉える概念と同じ概念である。philosophyの第二の意味は、「学問、学術」。即ち、古代ギリシアにおける学者は、研究する分野がどのような分野であっても、まず第一に、学問の基礎である「哲学」を研究した。「学問の“基礎”」は哲学、・・・・・これは即ち、哲学そのものが、「学問」「学術」であったということだ。

西洋では、最高学位である「博士号」をPh.D.と呼ぶことは周知の事実である。Ph.D.は、所謂、Doctor of Philosophyを意味し、例えば、法学博士であればDoctor of Philosophy in Law、医学博士であればDoctor of Philosophy in Medicineと表現する。この場合、philosophyは、「学問」「学術」という意味で使われる。

本質論を述べるならば、philosophyとは、(1)「哲学」であり、それと同時に、(2)「学問」を意味する言葉である。哲学は、ありとあらゆる学問の基礎。それ故、学問を通して真理探究の道を歩む学者においては、まず第一に、「学問研究の“基礎”」である哲学を学ぶことが大前提となったのだ。philosophyに対するこのような捉え方は、古代ギリシアのみに限定されたことではなく、広く、西洋文明社会全体にわたって、古代、中世、近代、現代に至るまで、根本の根本から学問の研究を行う学者における「常識」(common sense)なのである。