英会話道場イングリッシュヒルズ 道場で究める「英語道」

“Time flies lke an arrow.”

2013年07月19日 | Essay |

毎日、時間はあっという間に過ぎ去っていきます。まさに、”Time flies like an arrow.”(光陰矢の如し)という諺は真実であると明言することができます。

私の一週間は、毎日が、熱心に英会話を学ぶ受講生と過ごす「素敵な時間」(charming time)の連続です。教室で教える私自身、常に心から喜びを感じていることですが、とにかく当・英会話道場イングリッシュヒルズの受講生は皆、学習意欲がかなり旺盛です。

受講をスタートする時点における英語力は人それぞれですが、「とにかくレヴェル・アップを図りたい」、「日本語と同じように、自分の年齢や経験に応じた英語が喋れるようになりたい」という願望を実現するべく、受講生の皆さんは、常に、一つひとつのレッスンを本当に大切に捉え、本当に一生懸命に学んでいます。

レッスンを通して様々な受講生を見ていて、私自身、様々なことを感じます。その中で、いつも強く感じることは、「毎日忙しく生活している人ほど、すこぶる熱心にレッスンを受け、宿題のやり方も実に丁寧である」という事実です。

昔から、西洋文明社会でも、あるいは、東洋文明社会でも、「何か用事を頼むなら、忙しい人に頼むといい」と言われています。ステレオタイプの発想法で考えると、用事を頼むなら暇な人に頼むべきだと考えるのが普通ですが、実際、暇な人に頼むと、いつになってもその用事をやってくれません。

しかし一方、毎日様々なことにチャレンジして時間を有効に活用している人は、他人からの依頼内容を実行するための時間をすぐに捻出し、「スッ」と、それを片付けてしまいます。

この発想法で考えると、「暇な人は、”単に暇”というよりも、『時間を無駄にしているだけである』」ということがわかります。これまでの人生において、アメリカ人はもとより、世界中の人々とコミュニケーションを図ってきた私自身、このことを切実に感じます。

「自分を大きく成長させる」、・・・このことを確実に実現させるためには、常に、「限られた時間」を一体どのように有効に使うかということを、厳格、且つ、堅実な精神を基盤として思索することが必要です。

英会話の習得は、まさに「時間との勝負」です。一日は、どんな人においても、たった24時間しかありません。普通の人であれば、日々の”24時間”という時間的空間の中において、睡眠時間に5,6時間、仕事に8、9時間前後、朝晩の通勤に往復で2時間程度、・・・このように考えると、英会話を学ぶ時間は「極めて貴重な時間的空間」です。

「忙しい人」(busy person)は、時間を有効に使う人(a person who uses time effectively)の”代名詞”でもあります。忙しい人にとって、時間は本当に貴重な代物です。ですから、そのような人は、自分なりに工夫を凝らし、限られた時間を最大限に活用して本気で学ぼうと奮闘します。



“Your presence graces this party very much.”

2013年01月10日 | Sentences |

相手との会話をエレガントにする語の一つにgraceがある。名詞としてのgraceは、「優美、優雅、上品、美点、恩恵、恵み、礼儀」等の意味。また、西洋社会では、ローマ・カトリック教の大司教(archbishop)、あるいは、公爵・公爵夫人などに対して”Your Grace”と呼ぶことが一般的であるが、この時の意味は「閣下(閣下夫人)」という意味を成すものだ。

一方、graceは動詞としても使える。動詞としてのgraceは、「優美にする、優雅にする、美しく飾る」等。例えば、フォーマルなパーティーにおいて、目の前の相手に敬意を払う目的で”Your presence graces this party very much.”と言えば、「あなたの臨席によって、このパーティーが華やかな雰囲気になっている」という意味を成し、また、美術館において鑑賞している絵画を面前として”This fascinating picture graces our feeling unbelievably.”と言えば、「この魅力的な絵画は、実に信じられないほど、私たちの気持ちを優雅にしてくれる」という意味を成す。

エレガントな言葉の使い方を具現するには、「豊かな心」を備えていることが大前提となるが、graceという語は、まさに、「使い手本人の『心の豊かさ』」によって様々な方法で使うことができる「優雅、且つ、贅沢な語」である。



“Easy come, easy go.”

2013年01月03日 | Essay |

“Easy come, easy go.”とは、「悪銭身につかず」という意味を成す諺です。これは即ち、「簡単に手に入れたものは、失うのも早い」という意味合いを成すわけですが、本稿では、この諺を一つの教訓として、「『本物』(a real cultured bilingual)を目指したい人のための英語道」について述べていきます。

ご承知のように、この日本でも、海外の主要な新聞を読むことができます。例えば、アメリカのThe New York TimesやThe Washington Post、あるいは、日本の英字新聞であればThe Japan Timesなど。本来、英字新聞を読むという行為は、「英語で時事問題に接する」「英語に慣れる」という趣旨ではそれなりに意味のある行為であるに違いありません。しかし、日本で英字新聞を読む人々のほとんどは、実際は、記事の内容を十分に理解することなく、ただ単に「英字新聞を手に取っている」という表面的なイメージに自己陶酔・自己満足し、現実には、”地に足の着いた読み方をしていない”と言わざるを得ません。

率直に述べるならば、(既に上級レヴェルの英語力を備えている人の場合は除いて)この日本で一般の普通教育を受けた日本人が英字新聞を読むときは、1)「辞書の使用」と2)「ノートづくり」は必須です。無論、読み進めている最中において、わからない単語・英語表現に遭遇したときには、随時、それら一語一語について、辞書で詳しく調べ、ノートに整理していくということが、記事の内容を理解する上において最低限必要となります。

この日本で英字新聞の読み方として一般的に言われていることは、「大量の英語長文に慣れるには、わからない単語に遭遇したとき、その都度辞書を引くということでは時間がかかりすぎる。大切なことは、常に速読を心がけ、未知の単語にとらわれることなく大まかに全体の流れ・大意を掴むことだ」ということです。しかし、私は、長年において、日本の英語学習者に対してこの考え方とは異なる考え方を伝授し続けています。本稿においても、私は、はっきりと断言します。

<1>
英語に慣れるという趣旨で、どのように長い年月をかけて大量の英語を流し読みしても、「その都度、わからない単語や表現について丁寧に辞書で調べ、それをノートにまとめる」という学習経験を積み重ねない限り、一生涯、英字新聞がスラスラと読めるようになることはありません。

<2>
上級英語力、そして、国際レヴェルの教養・見識を備えていない人が、電車やカフェで英字新聞を広げ、たくさんの記事を流し読みしても、一向に「真の意味での実用英語力」が養われることはありません。

<3>
わからない単語・表現は、それを「自分自身の”手”」で辞書で調べ、「自分自身の”手書き”」で丁寧にノートに整理することなく、その単語・表現を自分のものとすることは不可能です。

日本の電車やカフェには、「”自称”・バイリンガル」と勘違いしている”頗るfakeな英語学習者”がいます。そうした人々は、英語に対する憧れの気持ちから、「人前で英字新聞を手にするとカッコいい」という勝手な思い込みから、実際は記述内容について全くわからないにもかかわらず、電車・カフェ等で、「人前で英字新聞を読んでいる”ふり”」をするのです。そのような人は、英字新聞を読んでいる”その自分の姿”を他人が見て、「あの人、英字新聞を読んでいる。さぞ、英語がペラペラなんだろうな!」と想像されることに喜びを感じ、「そうした喜びに陶酔することである種の自己満足感を得る」という精神構造がその人の心の中にあるわけです。

この種の精神構造は、言うなれば、「”島国”日本に蔓延る特有の精神構造」といえるものです。実際には、このような精神構造は、海外においては”滑稽な精神構造そのもの”として捉えられるだけのものです。

この極めて滑稽な精神構造について、「”島国”日本における近代史」という観点から述べるならば、1853年のペリー来航当時から始まった幕末の混乱期から1868年の明治維新への推移、そしてその後、明治・大正・昭和における日本の近代化政策において台頭した「西洋文化崇拝主義」を起因とする”病的な精神構造”にその源泉をうかがうことができるといえます。

日本の近代化を図るプロセスにおいて「西洋の文化を必要以上に崇拝する」という極めて偏狭な国際感覚は、日本の国際化を推進するどころか、実際は、”その逆の方向性”へと日本人を進ませてしまいました。勇気を持って、勇敢に、国際社会に対して独自のアイデンティティーを主張しようとしないネガティブな風潮から脱却できずにいる日本人は、これからの国際社会において、さらに、「過酷な道のり」を歩む命運を背負っているといえます。

「日本人における”英語に対する病的コンプレックス”をどのように解消させるか」、この問題は、私自身、海外在住中から日本社会に対してメッセージを発信し続けてきた重要な問題の一つですが、実際、この問題は相当根の深い問題であり、「たった一人で本を出版し、それを一般の人々に読んでもらう」という程度のことでは、何ら、解決の方向に向くようなことはありません。

この問題は、”言語”としての英語の問題というよりは、まさに、「日本における、均整のとれた国際感覚の構築」という大きな問題を視野に入れた総合的な対策が必要不可欠となります。そのための第一歩として考えられることは、「今後の国づくりを、どのような精神基盤を”礎”・”根幹”として進めていくべきか」という日本人としての根本問題について、国を支える国民一人ひとりにおいて、それぞれが、それぞれの立ち位置において深く哲学する風潮をつくり出していくということにしか、その道を実現する方法はありません。

以降においては、前述した問題意識に基づき、一般の英語学習者において最も妥当と思われる英字新聞活用法をご紹介します。はじめに、最も基本となる以下の事項についてしっかりと理解してください。

<1> 
英字新聞を読む際において、わからない単語・表現等は、必ず辞書を引く(わからない単語は、それを放置したままにしておくと、たとえ何年、英字新聞を読み続けようと、わからないままの状態が続く)。

<2>
辞書で引いた単語は、必ずノートにまとめる。せっかく単語を辞書で引いても、それを実際に手書きでノートに整理しない限り、決して自分のものになることはない。言語は、それが何語であっても、実際に苦労して書くことなしに習得することは不可能である(例えば、日本で生まれた日本人であっても、日本語を学ぶために、義務教育の期間において詳細に”国語”を学び、何年もの間、漢字の学習をして日本語を学ぶのが普通である。日本で生まれた日本人であっても、そうした学習経験を積み重ねることなしに、しっかりとした日本語を習得することは不可能である)。

<3>
英字新聞の記事そのものは極めて表面的な記述であるため、「記事そのものだけを何年読み続けていても、本当の意味での国際的教養・見識を養うことはできない」という現実を認識する。

前述の事項についての理解を深めたことを前提として、以下においてさらに話を進めたいと思います。言うまでもないことですが、新聞の内容は、それが何語で書かれていても、「事物における表面的な記述」に過ぎません。例えば、外交問題についての記事を例として挙げるならば、「何年の何月何日、ワシントンD.C.において、アメリカとフランスの両首脳が会談を行い、…について議論。両首脳の記者会見によると、……という見通しである」という記事は、言うなれば、単に、「…という事実があった」という表面的事実について記述されているだけのことです。本来、新聞の役割は「事実を伝える」という”情報伝達行為”を主なミッションとしているため、それはそれとして、その役割を果たしているといえます。しかし、一方、新聞を読む読者側の立場から述べるならば、事実を表面的に知るだけで国際的教養・見識を養うということは”到底不可能”と言わざるを得ません。

国内の動向、そして、世界の動向を知り、それを客観的に把握し、「より良い近未来」について模索するには、ただ単に、表面的事実のみを知るだけでなく、「人類」(mankind)という大きな立ち位置から、実に多種多様な分野・観点から考察し、深い思索を試みる必要性がそこに存在します。

そのためには、まずは、学問における幅広い知識が必要不可欠となります。学問における三大潮流である人文科学(human sciences)、社会科学(social sciences)、自然科学(natural sciences)について総合的に学習・理解を深め、その他、”学際研究”(interdisciplinary study)として、様々な具体的問題について分析・解明していくことが求められます。そして、さらには、「”人間存在”(human existence)そのものの真髄」を知る手掛かりとして、文化・芸術・思想・宗教などの学習・理解も必要となります。

上記における、それらすべての分野を理解する上で基盤となる分野は、言うまでもなく、「哲学」(philosophy)です。西洋文明社会、東洋文明社会においても、「諸学の基礎は哲学にあり」という捉え方は、まさに、”普遍的捉え方”といえるもの。結局のところ、古今東西を問わず、どのような人間がどのような職業に就いていようとも、真の意味での国際的教養・見識を養いたいのであれば、まず第一に、「哲学」を学ぶことが必要不可欠となります。

最後に、わかりやすくまとめます。新聞は、単なる表面的事実が記載されたもの。新聞の情報を「教養」に直結させるには、まず第一に、すべての学問分野の基盤をなす「哲学」をしっかりと学び、それと並行して、人類史・世界史の潮流を見据えながら様々な具体的分野・問題について学んでいくということがポイントとなります。さらに、「哲学の重要性」について具体的に述べるならば、以下の如きとなります。

<A>
「哲学・理念を知らずして、どのように表面的知識・情報を得ようとも、何らの本質をも見極めることはできない。」

<B>
「土台を築くことなく慌ただしく積み上げた積木は、ほんの少しの振動で大崩壊する。」

<C>
「技術は”技術”。どのように技術に長けていても、真の意味で人類の利益・幸福に役立たせるには、その”技術”を使う本人が、深く哲学することが必要不可欠である。」(例えば、医学の研究に優れた医師であっても、”医術”ばかりにとらわれ、理性を介して「人間の尊厳」という観点から深遠なる思索を試みない限り、真の意味での”医療の理想郷”に到達することは不可能である。)

<A>、<B>、<C>についての”妥当性”、そして、”真実性”は、理性を介して「人類が歩んできた歴史の推移」について達観している人にとっては、常に、”真実そのもの”といえることです。本稿を読む読者の皆さん、是非、以上のことについて、自分なりに深い思索を試み、真の意味での国際的教養・見識を養うためのヒントとしてください。

大切なことは、表面的事実ではなく「本質」です。どのような人間においても、本質を知るためには、実に過酷な道のりを歩むことになりますが、私たち人間に与えられた天賦的理性を生かすためには、勇気を持って勇敢に、その道を選択し、一滴一滴、汗を流しながら前に進むしかありません。人類が試みてきた「”知”への道のり」は、そうした”困難との闘い”なのです。



料理が得意な人は、英語を学ぶコツを知っている

2012年12月14日 | Essay |

美味しい料理を作るためにクッキングスクールに通う人は結構いるでしょう。レストランで美味しいものを食べると、料理好きな人であれば、実際に自分でも作ってみたいと思うものです。

料理が好きな人は、新しい料理の作り方を学ぶとき、クッキングスクールに通ったり、あるいは、クッキング法を解説するテキストを購入するに違いありません。クッキングスクールに通う人の場合、最初は、スクールの先生のインストラクションに従って料理を作り、テキストで学ぶ人は、テキストに従って料理を作ります。

ところが、料理好きの人が一定期間にわたって同じ料理を何度も作っていると、「スクールで習った通り」「テキスト通り」では満足しなくなり、ある時点から、同じ料理を作るそのプロセスにおいて「自分なりの調理法・味付け」を試みるようになります。

そうした人の場合、料理の基盤となる方法は同じでも、細かいところにおいて、「自分なりの味付け」をするようになるのです。料理における「感性」(sensibility)が優れている人は、人から教わった調理法だけでは満足することができず、そこに、独自の手法を取り入れようとするのです。私自身、海外でも日本でもこれまで様々な料理を食べてきましたが、美味しい料理を作る人は、この点において違うのだと思います。

英語の動詞に、”cultivate”という言葉がありますが、これはまさに、このことを表現するものであると私は捉えます。既に得た知識、情報、テクニックをそのままの状態に放置しておくのではなく、「自分なりにそれを発展させる」という行為に、何らかの意味が生じるのだと思います。名詞で言うと”cultivation”、それは即ち、”development”でもあるわけです。

この考え方が理解できる人は、英会話を習得するという行為も<すこぶる速い>と思います。学習者が、ある程度のレヴェルまで英語を習得するまでは、とにかく、「講師の指導・助言にしたがって、講師から学ぶたくさんの英語表現を習得すること」が大前提となります。そして、ある程度、日常生活について英語で言えるようになったら、今度は、そこで得た知識を基盤として、自分なりに「味付け」をしてみましょう。

「基礎英語の基盤づくり」を行い、その上で自分の「経験」(experience)と「感性」(sensibility)に基づいた英語表現をするように心がけることによって、よりスムーズに英語が喋れるようになります。



英語道・弟子(disciple)の募集 (若干名)

2012年11月24日 | information |

現在、英会話道場イングリッシュヒルズでは、英語道の「弟子」(disciple)の募集を行っています。自分の人生における「限られた『生』の長さ」において、「自分の人生の行く末をかけて、命をはって英語道を歩みたい」という人は、英語道・弟子(disciple)募集(若干名)の募集案内をご覧ください。



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